クリス・スクワイア追悼 : ビリー・シャーウッド
《yesworld.comから、クリス・スクワイア追悼メッセージを抜粋します》
僕がクリスに最初に会ったのは1987年のことだった。出会ってすぐに大親友になり、その後ずっといい関係でいた。
クリスは僕の人生の中で、とても大きな存在だった。
彼は僕のヒーローだし、彼のベースプレイと歌唱スタイルは僕にとっても大きなインスピレーションだった。
僕とクリスは、何年にもわたって二人でたくさんの音楽を作ってきた。
そのことを今でもとても感謝している。
クリスと創作活動をするのはいつもスペシャルな体験だった。
創作のアイディアで、僕らはいつもすごく意気投合していたんだ。
それをクリスは「僕らは二人とも魚座だからだろうな。僕らの音楽はいつも水の流れのフィーリングがあるね」と、よく言ってたんだ。
(これを書いている今も、そのときの彼の声が聞こえてくるよ)
クリスの家族と僕で、揃ってアリゾナに出かけたときのことだ。(彼が病気になる直前のことだ)
一緒にディナーをしたり、いろんな話をして大笑いしたり。
ホテルの部屋で、僕が”CITIZEN”という曲を作っているとき、クリスがやってきてベースのトラックのレコーディングを手伝ってくれたんだ。
そのときは彼は”懐かしいクリス・スクワイア・サウンド”にこだわっていたね。
5弦ベースを自在に操って。あの独特の人懐っこい顔でニヤリとしてた。
今から思えば、そのときすでにクリスは、僕が知らない世界の苦しみと闘っていたんだ。
アリゾナから帰ってきた一週間後、クリスが電話をくれたんだ。「悪いニュースがあるんだ。実は白血病なんだ」って。すごく勇気のある声でね。
僕の心はちぎれそうだったよ。でも彼のほうはとても元気な素振りで、
「心配するな。俺はまだまだ大丈夫。この病気と闘って勝ってやるさ!」ってね。
それから一週間ほどあとで、クリスはまた電話をくれた。
「病状が悪化してるんだ。ツアーに出るのはもう無理みたいだ」と。
「でも、ファンのためにも、イエスは続けないといけない」と。
「この40年間のイエスのショウを、俺はひとつも忘れたことはない」と。
そしてクリスは、「当分のあいだ、俺の代わりにイエスで演奏してくれないか?」と僕に言うんだ。
この頼みを、すぐに受け入れるのは難しかった。もう二度とライブで演奏できないなんて、クリス自身が悲しいじゃないか。
僕は、「大好きなクリスの頼みなら、大好きなイエス・ミュージックのためなら、喜んでやらせてもらうよ。でも、元気になったらすぐにイエスに戻ってきてくれよ」と念を押したんだ。彼はもちろんOKしてくれたよ。
「あぁ、約束する!」と。
それから数週間のあいだ、僕らは何回も電話でやりとりを続けたんだ。ひとつひとつの楽曲のニュアンスのことや、ベース・パートのことなどを。
でも電話の向こうのクリスの声がだんだんと変わっていってた。。
まるで死ぬ間際の父親が、息子に最後の別れを告げているようだった。精一杯元気そうに振舞って。。
それが僕とクリスの最後の会話になった。
クリスはいつも僕にこう言っていた。
「自分らしく。自信をもって。自分の音楽を続けろ」
彼の遺志を継いで強く生きていくことが、僕のこれからの願いだ。
クリス・スクワイアは、僕の心の中で永遠に生き続けるだろう。
そして永遠に、この寂しい気持ちを抑えられないだろう。