《ジェフ・ダウンズが語る》: 1


PROGマガジンに掲載されている、ジェフ・ダウンズのインタビューです。

なかなか素敵なことを話してくれているので、抜粋して紹介いたします。

トレヴァー・ホーンとの関係について

トレヴァーと口論になったことは一度もないね。本当に。

共同で音楽制作をするってものは、とかく意見が衝突するものだけど、トレヴァーとはそういったことは全然なかった。

むしろ僕らはもっぱら、自分たちのアイディアを外部の”雑音”から守るのに必死だったね。

僕はどちらかといえば、人と対立しないように生きていくタイプなんだ。心ない批判に腹を立てることもないし。

それよりも、人と人のあいだで仲をとり持つのが好きなんだ。一緒に仕事した人で、ケンカ別れしたことは一度もないね。

トレヴァー・ホーンと最初に会ったときのこと

メロディ・メーカーの求人広告だね。”キーボード・プレイヤー求む”っていうヤツ。

それで自分のクルマにミニムーグとフェンダー・ローズを積み込んでリハーサルに行ったんだ。

行ってみるとそれはティナ・チャールズというディスコシンガーの仕事だった。その場で採用されたよ。

どうして自分に決めたのか、トレヴァーにあとで聞いたら、「お前は自分でキーボードを持ち込んできてくれたから」だってさ(笑)

トレヴァーの第一印象は?

ものすごくいいヤツだったよ。とても真面目でね。

”永い親友になれそう”というカンジではなく、もっぱらプロフェッショナルな関係でね。

でも、なにかの”一体感”はあったね。

僕らはどちらも「ロンドンで一旗あげようとしている、イングランド北部の田舎ものの小僧」だったし。

また僕はけっこう完全主義者的なところもあったのも、気に入られたのかもね。

バグルス誕生の背景

ただ自然にそうなったんだ。トレヴァーはいくつかのプロデュースをしていて、それに僕を巻きこんだんだ。

一方僕は、食いつなぐためにCMのジングルを制作していて、それにトレヴァーを巻き込んだ。

そんな中からバグルスのアイディアが生まれたんだ。

バグルスは「実験室に引きこもるマッドサイエンティスト」と形容されたこともありましたが

実際そんなカンジだったね。僕らはもっぱら「裏方」だったし。

当時の僕らのモットーは「バグルスは絶対にライブはやらない!」だったしね。

そして「ラジオスターの悲劇」で、すべてが変わるわけですが

初期のデモを作っている段階で「この曲には”何か”があるな」と、自分たちも感じていた。

それであちこちのレコード会社に持ち込んだんだけど、ことごとく突っ返された。

そのとき、僕の彼女があるレコード会社で働いていたんだが、このデモを社長に聴かせたんだ。

するとその社長が「このバンド、今すぐ契約しろ!!」ってなったのさ。

大スターになった気分はどうでしたか?

そりゃぁ最高だったよ。チャートのトップになることは、もちろん夢見ていたし。自分たちの曲が世界中でヒットするのって、最高だよ。

だけどトレヴァーは、自分たちのことがティーンエイジャーの雑誌で紹介されたりするのは、あんまりいい気分じゃなかったみたいだけどね。

https://www.loudersound.com/features/i-think-in-my-life-ive-only-met-jon-anderson-once?fbclid=IwAR0JW0gPEYwioBS5O6XU4YlOQfiXO2Agt_nuuJCXSABW-edn4FAO6Q7IzEs

つ・づ・く・・・


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